妄想なWeb4.0

ここから下はかなり空想(妄想?)なWeb4.0。


そしてWeb4.0はディスプレイそのものを必要としない時代となる、おそらく人間の体そのものがネット参加する時代になるだろう(アニメーションの攻殻機動隊の世界は、この世代を想定していると思われる)。攻殻機動隊の世界のように体自体にハードウェアを埋め込むかどうかは疑問が残るところであるが、埋め込まないにしても、脳と外部記憶装置とをシンクロさせる手段は確立されるはずだ。


もうこうなると、まさしく「ネットは広大だわ」となってしまう。人間の肉体経験そのものがネットワークによって共有される可能性すらあるからだ。


ただ、いずれの世代も変わらないものがある。


それは人間そのものである。


人間そのものが2.0になるとすれば、それは「ガンダム」で言うところのニュータイプであり、即ちテレパシー能力の実現であるが、これはWeb4.0世界であれば技術で代替可能なものである。そうなると、人間そのものは2.0になるというよりはむしろ1.0で止まる、ということになるのかもしれない。実現するとすればWeb4.0世界からネットワークが逆戻りするしかないわけで、そうするとガンダム世界におけるミノフスキー粒子(通信を妨害する架空の粒子)が、ニュータイプの実現において実は欠かせない存在であるという理屈もなんとなく理解できるかもしれない(空想だけど)。


変わるべき理由が存在する時、それは変わる。


変わるとすればそれは人間そのものが変わるべきとき、なのだから。